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東京地方裁判所 昭和43年(ワ)9724号 判決

原告 新井清

右訴訟代理人弁護士 海老原茂

同 橋本岑生

右訴訟復代理人弁護士 舟辺治朗

同 菊地一夫

被告 笠井圭一

右訴訟代理人弁護士 和田敏夫

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告(請求の趣旨)

1  被告は、原告に対し金五九八、四〇〇円およびこれに対する訴状送達の翌日から完済にいたるまで、年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

との判決および第1項について仮執行の宣言。

二  被告

主文と同旨の判決。

第二当事者の主張

一  原告(請求原因)

1  被告は原告に対して何らの債権を有していないにもかかわらず、貸金債権合計金一三九万円を有していると称して裁判所を欺罔し、

(1) 昭和三八年九月二七日、東京地方裁判所民事第九部より同庁昭和三八年(ヨ)第六四〇七号不動産仮差押申請事件、第六四〇八号有体動産仮差押申請事件および第六四〇九号電話加入権仮差押申請事件について各仮差押決定を取得し、

(イ) 右第六四〇七号事件の決定に基いて同月三〇日、原告所有の東京都荒川区南千住町一丁目九九番の五、宅地六坪五合三勺、同町一丁目一〇一番の四七、宅地二四坪九合五勺についてその旨登記簿に記入を受け、

(ロ) 右第六四〇八号事件の決定に基いて同年一〇月一日原告所有の金銭登録機ほかの動産について、東京地方裁判所執行吏をして仮差押を行わしめ、

(ハ) 右第六四〇九号事件の決定に基いて、同年九月三〇日、加入者名義原告、設置場所原告住所、電話番号八九一局三九五七番の電話について、その旨電話登録簿に記入をうけ、

もって右各物件に対し仮差押の執行を行い、

(2) 昭和三八年一〇月一八日東京地方裁判所に対し、原告を相手に金一三九万円並びにその遅延損害金の支払いを求める旨の訴訟(東京地方裁判所昭和三八年(ワ)第八八三六号)を提起した。

右訴訟は、昭和四二年一一月一七日に本件原告勝訴の判決があり、本件被告はこれに対し上訴せず、右判決は確定した。

2  原告は、右の如き被告の仮差押の執行および訴訟の遂行によって次の損害を受けた。

(1) 仮差押の執行によって、原告所有の不動産・動産・電話加入権が譲渡などの処分可能性を奪われたことによるこれらの財貨の価値減少総額金一〇万円。

(2) 理由なく仮差押の執行をうけたこと、および本件被告提起の前記訴訟に四年間のあいだ応訴せざるを得なかったことによる精神的苦痛の慰藉料として金一〇万円。

(3) 本件被告の提起した前記訴訟事件に対し原告としては自己の権利を守るため弁護士を依頼せざるを得なかったがその報酬として支払うべき金三〇二、四〇〇円。(東京弁護士会、報酬規定の最低料率によって算定した手数料金一五一、二〇〇円(一〇〇万円×〇・一二+三九万円×〇・〇八)と同額の謝金との合計額)。

(4) 右各損害の賠償を請求するための本件事件に対する依頼弁護士への報酬金として金九六、〇〇〇円。(訴訟の目的の価格を右損害額の範囲内である四〇万円として、前項と同様にして算定した手数料および謝金の合計額(四〇万円×〇・一二×二))

3  よって原告は被告に対し右損害金合計五九八、四〇〇円およびこれに対する訴状送達の翌日から完済に至るまで、民事法定利率の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  被告の答弁

1  請求原因第1項中、被告が原告に対する金一三九万円の貸金債権を有していなかった点、裁判所を欺罔したとする点をのぞき、すべて認める。

2  請求原因第2、第3項は否認する。

三  被告の主張

1  原告は昭和三〇年頃、実弟の訴外新井正位(以下訴外正位という)がかねて上野の所謂飴屋横丁において営んでいた罐詰類卸業が倒産したのちの経営を受け継ぎ爾来これを営んでおり、訴外正位はその仕入部門の面倒をみていた。

被告は罐詰の製造を業とする訴外東都罐詰株式会社に勤務していたが、右訴外会社は、訴外正位及び同人が倒産ののちは同人を通して原告との間に取引を行っていた。

2  被告は訴外正位から原告が右訴外会社に対して負う金額四七万円、満期日同月四日の約束手形金の決済資金として金三〇万円の借受申込をうけ、昭和三八年三月三日同人に対し原告の目前で金三〇万円を交付した。右貸付金の返済のため原告振出の金額金三〇万円満期三八年四月一九日の約束手形の交付をうけた。

同手形は数回の書替のうち、同年五月八日、支払期日を同年七月一九日として最終的に書替えられた。

3  その後被告は訴外正位からいずれも原告振出にかかる支払場所、株式会社協和銀行上野支店、名宛人白地とした後記各約束手形を示され、原告の依頼に基づくものであるとして、金員借用方申込を受けたので、右正位を通して、原告に対し、

(イ) 昭和三八年五月八日金四七万円を、金額四七万円、満期同年六月一六日の約束手形と引換えに交付して貸与した。

同手形は同年六月一三日に満期を同年七月二五日とする手形に書替えられた。

(ロ) 同年五月八日、金二二万円を金額二二万円、満期同年六月二六日の約束手形と引換えに交付して貸与した。

同手形は同年六月二五日に、満期を同年七月三〇日とする手形に書替えられた。

(ハ) 同年四月二四日金四三万円を金額四三万円、満期同年七月七日の約束手形と引換えに交付して貸与した。

被告は原告より同年七月六日に金三万円の弁済をうけ同手形は同日、金額四〇万円、支払期日を同年八月二八日とする手形に書替えられた。

4  しかるに訴外正位は、昭和三八年七月一六日被告に対し書替えのためと称して前記四通の手形の交付を求め、被告からその交付をうけるや、右約束に反して、右四通の手形を破棄してしまった。

5  しかしながら、被告が原告に対して合計金一三九万円の債権を有することは明らかであり、被告はその回収のため、破棄された右四通の約束手形について、除権判決を得た上、手形金請求訴訟を提起することも可能であったが、原告が右手形の振出を不当に否認し、偽造にかかる旨を主張して不当に抗争したため、被告は原因関係に基き、貸金返還請求事件として訴訟を提起せざるを得なかったのである。ところでこの原因関係を如何なる法的関係として構成するかはすぐれて法技術的な問題であるから、この構成の適正を欠き、それ故、証拠にする証明が不十分となり、結果的に請求権が認容されなかったからといって、直ちに仮差押および訴訟を不当とすることはできない。

前記四通の手形の原因関係を法律構成するに当り、訴外正位を原告の代理人として被告と原告との間に消費貸借契約又は準消費貸借契約が成立したものとすることは可能であり、また正位が被告から金員を借り受けるについて原告が保証し、その債務支払のため手形を振り出したものと解することも可能である。

被告は前者の構成をとったが、これは、正位が原告の実弟であって、正位の営業を受継いだ原告の営業において仕入面を担当していたこと、正位が原告の使いといって原告振出の名宛人白地の約束手形を持参して原告名義で金員の借用方申入をしたこと、しかもその手形の一部は満期に決済されたこと、被告としては正位には信用がなかったから同人に金員を貸す意思は全くなかったこと等による。しかしながら結局は証拠関係の不充分さのため裁判所の認容するところとなった。

6  以上のとおりであって、被告は架空の事実を作りあげたり又は明白な事実を無視して原告に対して何らの請求権のないことを知りながら仮差押に及んだり訴訟に及んだりしたのとは大いに事情を異にする。

およそ当事者間に紛争が生じた場合裁判によってその解決を求めることは国民の権利であり、また法治国の要請するところである。他方、主張の請求権が認容されないのは、訴訟技術の拙劣によるとか、証人・当事者本人が真実に反する供述をしたことによる場合もある。従って特定の請求が訴訟上認容されなかったからといって、直ちにその訴訟を不当・不法ということはできない。

四  被告の主張に対する原告の認否

1  第1項中、原告が訴外正位を通して訴外会社との間の取引を行っていたという事実は否認する。その余の事実は認める。

2  第2項中、金額四七万円及び同三〇万円の各約束手形を原告が振出したこと、及び右金三〇万円の手形を書替えたことは認めるが、その余の事実は否認する。

3  第3項中、(イ)(ロ)(ハ)各記載の手形を原告が振出したこと及び右各手形を書替えたことは認めるが、被告が原告に金員を貸付けたことは否認し、その余の事実は不知。

4  第4項中、被告が原告に対する一三九万円の債権を有していた点は否認する。被告主張のとおり訴訟が提起され、判決のあったことは認めるがその余の事実は不知。

5  第5項は争う。

第三証拠≪省略≫

理由

一、被告が東京地方裁判所において原告を債務者とする原告主張の各仮差押決定を得て、これを執行し、ついで同裁判所に対し、原告を相手に原告主張の訴訟(以下これを前訴という)を提起し、これにつき、被告敗訴の判決が言い渡され、確定したことは当事者間に争いがない。

原告は、右仮差押執行および訴訟提起(以下これらを併せて前訴等という)は不法であるから、これによって原告が被った応訴費用(弁護士報酬)その他の財産的損害および精神的苦痛に対する慰藉料、その請求のため本訴提起に要する費用(弁護士報酬)につき被告は賠償義務があると主張するので考えてみる。

二、≪証拠省略≫を総合すると、次の事実が認められる。

1、訴外新井正位(以下正位という)は昭和二二年頃から缶詰類卸業を営んでおり、訴外東都缶詰株式会社(以下東都缶詰という)とも取引があったが、昭和二八年頃倒産し、その後は兄である原告に営業を譲り、自らは缶詰売買仲介業を始めるに至った。原告は正位に信用がないので、その金融の便宜を図るため原告振出の約束手形を交付し、正位はこれを利用して東都缶詰から金員の融通を受けていた。

2、被告はかねて東都缶詰に勤務し、正位とも面識があったところ、昭和三八年三月三日原告振出の金額三〇万円の約束手形を持参した正位から、原告が東都缶詰に対して支払うべき金額四七万円、満期同月四日の約束手形の決済資金の一部として、原告への金三〇万円の融通(手形割引か貸金かはさて措き、以下金員融通という)方申込を受けたので、正位に対し、金三〇万円を交付し、正位から前記約束手形の交付を受けた。

この手形は同年五月八日正位を介して原告によって満期を同年七月一九日とする手形((ア)の手形という)に書替えられ、これについて正位は被告に宛て、「私が責任持って新井清に支払させる事を約束します」と記載した念書(乙第五号証)を差入れた。

3、被告は同年三月七日正位から原告振出の金額四七万円、満期同年五月五日の約束手形の交付を受けて、正位に対し金四七万円を融通したが、その際正位から「右約束手形については私責任持ってお支払い致します。私にて支払出来ぬ場合に振出人に責任持って支払させる事を約束致します」と記載した念書を徴した。右手形は満期に決済された。

4、被告昭和三八年五月八日正位から原告振出の金額四七万円、満期同年六月一六日の約束手形の交付を受けて正位に対し金四七万円を融通した。

右手形は同年六月一三日正位を介して原告によって満期を七月二五日とする約束手形((イ)の手形という)に書替えられた。

5、被告は同年五月八日正位から原告振出の金額二二万円、満期同年六月二六日の約束手形の交付を受けて、正位に対し、金二二万円を融通した。

右手形は同年六月二五日正位を介して原告によって満期を同年七月三〇日とする手形((ウ)の手形という)に書替えられた。

6、被告は同年四月二四日正位から原告振出の金額四三万円、満期同年七月七日の約束手形の交付を受けて正位に対し、金四三万円を融通したが、同年七月六日金三万円の弁済を受け、右手形は同日正位を介して原告によって金額四〇万円、満期同年八月二八日とする手形((エ)の手形という)に書き替えられた。

7、正位は被告に対し右4、5、6各記載の手形についても正位において決済不能の場合は原告が必ず決済すると言明して安心させていたが、他方、原告に対しては原告振出の右各手形は正位の責任において決済することを約していたところ、その後正位において右各手形の決済が困難な見通しとなったので、同年七月一九日頃被告に対し、右(ア)、(イ)、(ウ)、(エ)の四通の手形金合計一五二万円を正位において毎月一五万円宛割賦弁済することとしたい旨申入れて同意を得た。そこで正位は、原告から右四通の手形の代りにその手形金額を合計した金額で、満期の記載のない新手形一通の振出を受けて被告に差し入れるつもりで、同日被告から右四通の手形を預かったが、原告がこれまで通り依頼に応じて右新手形を振り出してくれるであろうから、これら旧手形はもはや不要であると軽く考えて、破棄してしまった。

8、しかるに、原告は、正位から右の事情を話され、新手形の振出を求められるや、正位の決済能力を危ぶみ、既に前記四通の手形が破棄されていることを知り乍ら、新手形の振出を拒絶した。

9、被告は正位に対して、再三再四新手形の交付を請求したが、ついにそれを受け得なかったので、前記融通した金員の取立に危惧を感じ、これを訴外小原正列弁護士に委任した。同弁護士は、正位は原告の代理人ないし民法一〇九条の表見代理人として被告から金員の貸与を受けたものであり、もしくは原告の代理人として被告との間で、前記四通の手形について書替の合意をなし、被告からこれらの手形の交付を受けながら、ほしいままに破棄したのであるから原告が現に手形を所持しなくてもこれらの手形金の請求をできるとの見解に立ち、被告は原告に対し、原因関係上ないし手形上一三九万円の債権を有するとして、原告主張の各仮差押執行を行ない、また、東京地方裁判所に対し、原告主張の訴訟を提起したが右見解はいずれも裁判所の容れるところでなく、被告は敗訴した。

≪証拠判断省略≫

三、以上認定の事実によると、被告の前訴等提起当時において被告が原告に対し、実体上少なくとも前記(ア)、(イ)、(ウ)、(エ)の四通の手形上の債権を有していたことは明らかである。もっとも、これらの手形は既に正位によって破棄され、現実には存在しなかったのであるが、手形上の債権が実体上の理由に基づかず、単に手形の物理的破棄によって消滅するいわれはない。ただ、手形の呈示証券性ないし受戻証券性からして手形所持を伴わない権利行使は、手形債権者たることを争う手形債務者に対しては公示催告手続を経た後除権判決を得る必要があるに過ぎない。

ところで、右手続を経て、手形金請求をなすには、右手続のために労力、費用および日数等を要する外、本件の場合破棄された前記四通の手形の振出日はいずれも白地であったから、かりにこれらの手形について除権判決を得て、手形所持の回復の効果を得たとしても、白地部分の補充の能否については困難な法的問題が残されていたのである。

他方、被告から原告に対する権利主張は右手形上のそれのほか、手形授受の原因関係に基づいてもこれをなし得ることはいうまでもなく、手形上の請求をなすについて上記の如き、事実上、法律上の困難な問題を回避するには、可能なら、右原因関係上の請求をなすに如くはない。ところで本件の場合、前記四通の手形授受の原因関係については、それが手形割引であるか、金銭消費貸借であるか、原因関係上被告の相手方当事者は正位であるか、原告であるか、正位は原告の代理人として法律行為をしたのか、どうか、原告は正位の借受債務につき保証する趣旨で手形を振り出したのであるか、どうか、或いはこれらにつき原告は表見責任を負担すべきか、どうか等が問題になり得るが、これらの点の判断は明確な契約書類が取り交わされておらず、人証に頼らざるを得ない本件の如き事案においては、極めて困難なことといわなければならない。

飜って被告が、正位を信用せず、原告の資力に信頼して金員を融通し、正位からも前記のとおり、原告が最終責任を負う旨言明を受けていたことからすると、被告が原告に対し、原因関係上も直接債権を有すると考えたとしても無理からぬものがあったといえよう。

しかして以上諸般の事情に照らし、被告が右権利主張の方法として前訴における前記9、の如き法律見解をとり、前訴等を提起したのは、紛争解決のため個人に認められた出訴権の範囲に属するものというべきで、右訴訟が結果的に敗訴に終ったからといって、不法不当なものというのは当らない。

原告の主張は採用できない。

四、のみならず、前記認定の事実によると、前訴等は、原告が正位から前記(ア)、(イ)、(ウ)、(エ)の四通の手形に代る新手形一通の振出を求められた際、これら四通の手形が、実体上債務消滅の事実もないのに、正位によって破棄されたことを知ったのを幸い、従来、正位の求められるまま手形を書替えてきた態度を飜えし、右新手形の振出を拒んだことに縁由していることが認められる。換言すると、原告は弟の正位に自己の信用を利用させ、その結果、被告に対し、原因関係上はさておき、少なくとも、前記四通の手形上の債務を負担するに至ったのであるから、正位を通じてなされた被告の求めに応じ、破棄された右四通の手形に代る新手形を振り出していたならば、前訴等は提起されていなかったであろうし、従って原告の主張する損害も発生していなかったと考えられるのである。このように、原告が前記四通の手形が既に破棄されているのに乗じて、新手形の振出を拒み、もって事実上手形債務を免れていながら(前記のとおり、破棄された手形に基づく権利行使には事実上、法律上の困難がある)、他方かかる事実がなければ生じなかったであろう損害を被告に転嫁することは信義則上も許されないものというべきである。

五、よって、原告の本訴請求は失当として、これを棄却すべく、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条により、主文のとおり判決する。

(裁判官 佐藤安弘)

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